--塾長のつぶやき-- 学友舎高崎(学友舎 lab)
夏の思い出 ( まったくの雑談 ) 2020年8月7日
今年は夏がないのかと思いましたが、気象庁の予想より早く、梅雨明けになりました。
家の周りは、短くなった夏を取り戻すかのように、アブラゼミとミンミンゼミが鳴いています。学友舎を始めた18年前は、直径10センチほどだった隣接した公園の桜の木が、直径30センチに迫ろうとしています。セミも鳴きやすいようです。
● 子供たちが小学生のうちは、夏はプールや山や川に連れて行きました。それが楽しみで生きていたような気もします。
中学生になると、興味が変わりますから、いっしょに虫とりや魚とりに行くこともなくなりました。
ここ3年は、昼も忙しかったため、観音山にさえも行きませんでした。
● 今年は、7月初めに体調を崩して、1か月、休養する羽目になったため、時間が取れます。今日しばらくぶりに、一人でですが、観音山キャンプサイト周辺へ行ってみました。
観音山は、関越道が開通してから首都圏からの観光ルートから外れたため、もう20年以前から、県外から訪れる人が減り、以前の、観光バスが何台もとまっている姿は見られなくなっていました。カッパピアも廃園になりました。子供のころ確か一頭象がいました。
今日は金曜日のせいもありますが、ほとんどまったく観光・行楽客はいませんでした。
セミだけは以前にも増して鳴きまくっていました。人と車がいないので、車道に大きな(長い)蛇がいました。
● 山頂の、以前家族で良く通った喫茶店「ケインズ」はお休みでした。コロナのせいかはわかりませんが、廃業した土産物店と食堂が目立ちます。
高崎に生まれてしばらく住んでいましたので、歳とった自分とすたれた店舗の様子が重なって、妙な気分でした。
● 観音山には、ミヤマクワガタとノコギリクワガタのメスを10年近く放虫して、そのせいか虫は増えましたが、群馬昆虫学会から批判されたことがあります。
さすがに蚊に刺されるのが嫌で、歳のせいかイノシシも怖くなったので、一人で虫とりポイントに分け入ることは遠慮しました。20年前は合法だったナタやコンバットナイフを携帯することも現在はできません。
残念ながら、イノシシが出たら食ってやる、というような蛮勇はもうありません。夜中の10時過ぎに、幼い長男と真っ暗な林に入っていった、あの無謀さは、若気のいたりの一つでしょうか。
● 今年は全国的に夏祭りがありませんから、夜店関係の方が多分とりません。巨大なミヤマクワガタやノコギリクワガタがうじゃうじゃいると思います。
● 観音山は、バブル景気の余韻を残していた20年前は、きれいに下草が刈られていました。
東北大震災に伴う事故の前は、高崎に白人の方々が今よりたくさんいました。その方々が、木で建てられた休憩所で、しばしば本を読んでいました。
● この10年ほど、日本国民が働いたお金のうち、60兆円は海外援助に流れました。そのせいかどうかは知りませんが、観音山は草ぼうぼうの荒れ放題で、バブルの頃整備されたハイキング道は、男でもこの歳では、一人では歩きたくありません。
● キャンプサイトへ行く途中、国立望みの園を通り過ぎ、坂を下って橋を渡った左手に、簡易休憩所があります。
御多分に漏れず草ぼうぼうで、ウッドデッキは腐り始め、水飲みの水泉蛇口は止栓されていました。
20年前幼い長男と妻と、虫とりに行って、虫はとれませんでしたが、そこで休憩したことがあります。
そのとき、その先20年間に起こる事なんて、全く予想もせず考えもしませんでした。怖いものなんて何もありませんでした。いつまでも今日と明日が続く、と思っていました。
その横を通ると、今日もいつも、20年前の自分と長男と妻が、私の方を見ています。その横には真っ赤なランティスが停めてあります。
私が生きている限り、あの3人は、あのままずっとあそこにいます。
真夜中なら怪談です。昼だとしんみりして、普段すさみがちですから、たまには良いです。
● セミしぐれは20年前と変わりません。自分で種をまいた、巨大なハイブリッド・ミヤマクワガタでもとってくればよかったです。
子供のころから、蜘蛛の巣をかき分けて藪の中へ突進するのは大好きでした。
付き合わされた息子たちは、蚊に刺されまくって大変だったと思います。蚊はともかく、口の中にクモやなんやが飛び込むこともありましたから。
交差免疫は増したかもしれません。コウモリもいました。
● ONE OK ROCK - Take what you want