--雑談・塾長のつぶやき--                                                                                                                                学友舎高崎(学友舎 lab)
 
妙義山第四石門と青少年自然の家        2016年/5月/23日





【高崎市小学校の林間学校】


高崎市のいくつかの小学校は5年生で林間学校があります。うちのすえっ子が通う小学校は、妙義青少年自然の家に泊まり、妙義山第四石門へ登山(YouTube)するコースです。



【ケガでドクターストップ】


息子は大変楽しみにしていたのですが、足首をねん挫してしまい、2週間の運動禁止、というドクター・ストップがかかってしまいました。
担任の先生は、登山はせずに他の行事だけ参加を、と大変熱心に進めてくださいました。


しかし、市内でも有名なアメリカ帰りのスポーツドクターから、強化サポーター装着を4週間仰せつけられ、2週間のスポーツ禁止宣告を受けましたので、大事を取りました。


どうしたものかと悩みましたが、若いころケガで苦労した私は、妻の反対にもかかわらず、大事をとって林間学校を休ませることにしました。



自然の家は、駐車場からして車のドアが高速自動ドアになるような斜度です。
自分の経験から、楽しかったりいざとなると、痛覚は一時的になくなることがあります。子どもははしゃいで、けがは悪化するものです。


(私の児童期から青年期の後遺症が残るケガ :  ひじ関節の軟骨組織の変形損傷と後遺症・・3か月ギプス、膝じん帯部分裂断・・回復まで2年、打撲による眼球変形と視覚障害後遺症、大腿の肉離れによる筋繊維断裂・・50メートル全力疾走できるまでに10年、その他鎖骨骨折、肋骨のひび数回・・これでは予防安全に振りたくなります。)


【それでも本当のところが知りたくて】


それでも、本当のところはどんなものだろうと、自然の家と第四石門へ行ってみました。



自然の家のパーキングはアスファルト舗装されていますが、相変わらずの急坂でした。たまに洗い流すのか、部分的に経過を感じるところがありますが、思ったよりきれいでした。

自然の家は、飯盒炊飯もできる野外炊飯場の釜の灰が、なぜここまでと思うほど完璧に取り除かれていたり、昔からの施設は予想したよりかなりきれいでした。


しかし、残念ながら施設内の移動はすべて坂道でした。息子が飛び込みそうな沢があります。こぶし大から大きい小石と落ち葉の腐葉土に恵まれて、サワガニがとれそうです。息子は大喜びするでしょう。


足首をねんざした子供には危なっかしい誘惑に満ち満ちていました。


【第四石門への道】


ここまで来たのだからついでにと登った第四石門は、小学校の時林間学校で登ったきりしばらくぶりでした。


日ごろの運動不足から第一石門へ至る道ですでに息が切れました。せっかくここまで来たのだから見て帰ろうと、心臓の鼓動を無視して続行。

人間の体はよくできたもので、数分すると、さっきまで乳酸で硬くなっていた筋肉が無感覚に動き始め、心臓の鼓動も聞こえなくなりました。


【歳と運動不足を痛感】


無事、第四石門にたどり着き景色を眺めて戻りました。


小学生はすごいですね、特に誰もけがをせずにそこまで登ります。小学生の時、昆虫採集がてら何回か崖から沢へずり落ちた事のある私には、登山グローブと登山ヘルメットが必要かと思われました。


石門横の岩にへっぴり腰でへばりついて登ると、小学生の時その場所を恐る恐るはっていった記憶がよみがえりました。
違いは、歳と運動不足からか吐き気がしました。


第四石門下の広場の木の長いすは、座ると汚れるものがありますからお気をつけください。仕方なく汚れた木製の広場施設は、部分的に新しい木に変えてありました。

標高800メートルの山は、立ち止まって吸い込む空気は澄んでいてすがすがしいですが、1500メートル級の山とは違い、地表付近の汚れとの格差はかなり強いものがあります。評価は90というところでしょうか。


【小学生の時の記憶とのずれ】


沢沿いの道と鎖場は、小学校の時の記憶では、いずれもまだ土があり草が生えていましたが、浸食がすすんだのか岩場となったところがたくさんありました。


高所恐怖症の私は、下りは近道しましたが、道が沢になり土が削り取られて、石を運び込み石段を施工した部分が何か所かありました。
人は同じ行事を続けますが、自然は自然の流れに従うようです。


下りは、新緑の季節がら花粉症が悪化したため、紙マスクを装着。これもまた運動不足と体に合わない花粉があったのか、帰宅後かるく鼻血が出ました。
情けないですね。


息子のケガが治ったら連れていければいいなと思います。


【「さくらの里」の変貌?】


それにしても、第四石門登山口から国道の反対側の斜面に広がる「桜の里」、若い頃、今はすでに成人した、幼い長男を抱っこしてめぐりました。


当時は、下草がきれいに刈り取られ、幼い頃遊んだ里山の景色でしたが、草ぼうぼうの雑木林のようになっていました。搾乳用のヤギにあげる下草を刈り取る人は、さすがにもういないですね。


記憶の中の林間学校は清里や志賀高原のイメージですが、気温が高くなったせいもあるのでしょうか、標高800メートル以下の林間学校近辺の植生は観音山キャンプ場と似通っていました。


たしかに観音山のキャンプサイトあたりよりはきれいです。夏になれば、ここ数年観音山では少なくなった、元気で大きなカブトムシがとれそうです。



思い出の中の山と里はいつまでもきれいで、私と妻と子供は若さに満ち溢れていました。