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【最近の授業から・・英文法・古文・漢文・国語文法の、理解の相互関係】
                          (2016年11月6日)


中学3年生と英語で関係代名詞を学習しています。
具体的には次のような文を、訳す練習から始めてならびかえ作文へ進みました。

〈訳の練習〉
 The building which stands on the hill is our school.

〈ならびかえの練習・・2語を除きます〉
 (ニュージーランドで話されている言葉は英語です。)
 (spoken / in / English / the / New Zealand / language / is  / who / is /
  speaking/which)

英語と国語が得意な生徒さんは、わりとたやすく、スラッシュ・リーディング的に次のようにかわします。
(学友舎では、苦手でないときは、スラッシュ・リーディングを基本にしています。)

The building    which stands    on the hill     is our school.
「その建物は それは建っていますが その丘の上に 私たちの学校です」
こんな感じに意味をとった後で、普通の日本語に訳すことを求められると、
「丘の上に建っている建物は私たちの学校です。」と訳します。

ならびかえも、何を思い出すでもなく、問題の日本文を次のように変換してから英語に置き換えます。
(ニュージーランドで話されている言葉は英語です。)
⇒「その言語は、それは話されていますがニュージーランドで、英語です。」


中学校では、関係代名詞の限定用法と継続用法の意味の違いは出てきませんから、その点の区別は大雑把です。それは高校生でも最初はてこずります。

しいてそれも気にかければ次のようになるでしょうか。
「その建物は その建っているものは その丘の上に 私たちの学校です。」
「その言語は その話されているものは ニュージーランドで 英語です。」


国語が少しばかり苦手だと、日本語を普通の言い方から変えて倒置文にすることに、とても違和感をおぼえ文の意味が取れなくなることがあります。
スラッシュ・リーディング的な学習方法はなじまないことがあります。

その時は漢文のように意味をとります。(ほとんどの中学校で行われている英語学習方法です。)
中学1年生の秋に、国語で漢文のレ点と返り点と一・二点を習うと、英語の学習で説明に利用できるようになります。
英語と中国語(漢文)の語順が似ていると話すと、興味津々の顔をするものです。

国語が苦手な場合、英語で関係代名詞文を学習する際に、漢文の書き下し文の作り方を連想しながら練習すると、英語の語順の理解が進むことがあります。


英語と国語には、英語理解から国語理解への影響もあります。
中学3年生の初めに、英語で現在完了形を学習します。次のような文です。
You have been interested in Japan for a long time.

すると古文の説明がしやすくなります。

「田子の浦ゆ うちい出てみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」
最後の「ける」は「完了形」だと話すと現代語に言いかえずに理解できます。

「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎい出な」
これも意味を丸暗記するのはたやすいのですが、細かなところで間違えやすい和歌です。
「船乗りせむ」の「む」はwill、「潮もかなひぬ」の「ぬ」は完了形、「漕ぎい出な」の「な」はLet'sあるいはshall we ? だと話すと、「なーんだ」と説明の手間が省けることがあります。

中学生には、現代国語文法より、英語文法のたとえ話で説明する方がわかりやすいようです。


そういえば、日本語の理解から英語の「please」という単語の使用法を理解する、という指導方法がありました。

お恥ずかしい話、私はその小論文を読んで初めて理解しました。
関心がおありの方は次の方の解説をご覧ください。

 国文法を利用した英語教育の試み(2): please の使い方 
            島根大学 小林亜希子准教授

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小学校6年生になったばかりの時、早生まれでしたが、戦争映画の中で旧日本軍の若い士官が英語を話しているのを見てあこがれて、英語を勉強しようと思い立ちました。

40年も前の話です。高崎にネイティブスピーカーは数えるほどしかいませんでした。塾も英会話教室も見当たりません。
小学6年生から中学1年生向けの英語入門書を、本屋さんで見つけて買いました。

一人で読んだところ文法的説明がまったく分からず、すぐ投げました。
1年後、中学に進学して、心の傷はそのままに、英語の勉強を始めました。
ほんの1年前は分からなかったことが、特に苦も無くわかりました。

私だけの特殊な体験かもしれませんが、小学生の英語教育を考える時、よく思い出します。


ある個人についても、教科により得手不得手があることが多いですから、教科ごとの学力を支える何かがある、というのが心理学の定説です。
それにしても、教科の枠を超えた理解力とでも言うのでしょうか、年齢も関係した何かも、あるのではないでしょうか。


「テレビを見ている子供は私の娘たちです。」と言う意味の英語は次のどちらか、その判断は、国語(日本語)の、句の修飾関係についての理解力が支えているようです。
国語が苦手だとしばしば最初の文を書きます。
二つの英文を日本語に訳すことで、日本語の修飾関係について理解が進むことがあります。

The children are my daughters who are watching TV.
The children who are watching TV are my daughters.

学年が上がるにつれ、文章が複雑になるに従い、英語と国語の理解は相伴うことが多くなるようです。
                          (2016年11月6日)