--  雑談・塾長のつぶやき--                                                                                                                                            学友舎高崎(学友舎 lab)
 
徒然草 一四二段                         2016年/11月/29日
               




中学生の古文についても指導内容を改善しようと、この夏から少しずつ、大学受験用の参考書に載せられた古文に目を通しています。


今日は15分ほどでしたが、古語辞典で語句を確認しながら、徒然草の142段を読みました。
こういう随筆は、教育的配慮から、中学校の教科書に載ることはないと思いますが・・・



いつの世の話なのでしょうか。
こう書かれていました。(一部、このソフトでは旧字体が打てませんでした。)


『世を捨てたる人のよろずにするすみなるが、なべてほだし多かる人のよろずにへつらひ望みふかきを見て、むげに思ひくたすは僻事なり。其の人の心になりて思へば、まことに悲しからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ盗みもしつべき事なり。されば、盗人を縛め僻事をのみ罪せむよりは、世の人の飢えず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は恒の心なし。人きはまりて盗みす。世治まらずして、凍たいの苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ法を犯さしめて、それを罪なはん事不便のわざなり。
 さて、いかがして人をめぐむべきとならば、上の奢り費やすところを止め、民を撫で、農を進めば、下に利あらんこと疑ひあるべからず。衣食よのつねなるうへに、僻事せむ人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。』


まるで、どこぞの国のブロガーのツイッターか何かのようです。



『衣食よのつねなるうへに、僻事せむ人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。』
高校生の時はこの言葉の意味がわかりませんでした。


当時、まだ高度経済成長期の末期でした。
過度に美化するつもりはありませんが、農家の方と中小企業の経営者の方以外は、男性はほぼ全員が正社員の時代でした。(主婦や学生のアルバイトはありました。)


コンビニはまだなく、高崎あたりでは夜の8時を過ぎると、道に車がほとんど走っていませんでした。商店も7時から8時には閉まりました。



世間知らずの高校生には、徒然草の世界は過去の話でした。