--雑談・塾長のつぶやき--                                                                                                                                      学友舎高崎(学友舎 lab)
中学国語詩の解釈 (中1 虫 八木重吉) をめぐり調べてみました
                                 2019年3月24日




高崎市が採用している国語教科書 (中1) に、詩人八木重吉の詩が載せられています。


  虫
  虫がないている
  いま ないておかなければ
  もう駄目だというふうにないている
  しぜんと
  涙をさそわれる



ある中学校で3学期期末テストに出題されました。
この詩に読み込まれた作者の心情を問う問題です。


死んでいく虫と、死期が迫っている自身をかさねた、というようなことが書かれていれば正解です。



塾のある生徒さんは、作者が自分の境遇とかさねたとは書かずに、虫のはかないけなげさについてふれました。
それは×になりました。質問は、なぜ間違えなのか、でした。


別の中学が採用している学校ワーク (正進社 教科書対応ワーク) にも同じような問題が載せられています。
その正解は『 懸命になく虫に命のはかなさを感じるから。』でした。


この解答からすれば、塾の生徒さんの解答例は○になります。



一神教ではない日本では、普通に知性がある大人は、ある一つの考え方や自分の主観を唯一の正解だとはしません。
例外は何か公のうしろだてがある場合です。



そこで少し調べてみました。

群馬県地域共同リポジトリで八木重吉をキーワードに検索すると、『虫』にふれた実践報告 (教育学論文) がありました。
そのPDF9ページの抜粋です。


   この生徒は、「いま ないておかなければ もう駄目
  だ」という表現から「自分(作者)と虫との共通点」
  を見出したり、「しぜんと 涙をさそわれる」という表現
  から「自分自身の『死』を予感している」、「もっと生
  きたいという作者のメッセージが伝わる」と「解釈」
  して、「なんでもない虫の鳴き声が自分の『死』を予感
  させる」というキャッチコピーを作成した。表現とそ
  の効果の結びつきをしっかりとらえて、「知識・意味形
  成」の段階まで読み深められた例である。


『群馬大学教育学部 附属学校教育臨床総合センター』が編集している論文集ですから、教育委員会が主催する研修等にも影響力があると思います。



一方、事実はどんなかと調べてみました。
国立国会図書館のデータベースで八木重吉に関する質問を検索しました。


ふたつの質問がされていましたが、その一方への回答に、詩『虫』の初出・初稿についてふれた部分がありました。
そこには、初稿は大正14年8月26日、初出は大正14年10月、とあります。


ウィキペディアによれば、八木は大正15年の年初から体調を崩しました。
それ以前は、スペイン風邪の世界的大流行の際に罹患していますが回復するなど、特に病弱ではありませんでした。

初稿が遅くとも大正14年8月とすると、虫の声を聴きながら作詩したとすれば、前年、大正13年の秋にこの詩は書かれたことになります。


また、現代詩の起源について詳しい方のサイトによれば、断定されてはいませんが、この詩が書かれた時期がそれよりもさかのぼる可能性があります。


つまり、作詩した時は、自身の差し迫る死期をとくに意識する理由はなかった、と推論されます。



学友舎では、即答できない、このような質問が出された場合、関連資料と事実を可能な範囲で調べて回答します。


しかし、何はともあれ、テストの時は、学校の先生が授業中に言ったことを思い出して答えるように助言しています。ご安心ください。




余談ですが、長らく教科書に掲載された『虹の足』とかいう詩があります。
あれは榛名山へ東京から向かう設定です。参考書と問題集にもそう書いてあります。学校の授業でもその設定です。

しかし、高崎に住んでいる人なら、あれは虚構だとわかります。
あれは東京から富士山へ向かう道の記憶から構成した詩です。

この件について、学校の先生が指摘したとは、この30年間聞いたことがありません。




学生で京都にいた時、他府県出身の学生に、高崎市街地の高低差より京都市街地の南北高低差の方が大きい、と話すと、みんな驚いて、『群馬は全部山かと思っていた』と言われました。
たしか、京都駅と北大路通で10メートル違ったかと。
オートバイで北へ向かうのと南へ向かうのとで、加速が違いました。